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  最近、人に寄り添う記事ばかり書いているので、私が良い教育者と誤解されそうで事実とは少し違うので、そのことについて少し書かせてください。

m(__)m

 今でも迷うのは、子(人)と関わるときに寄り添うのか、突き放すのかということです。

 教員になりたてのときは、その子の今現在をいかに幸せな気持ちにしようかと意識していたように思えます。

 今は、将来より大きなカベにぶつかったときに、いかに乗り越えることのできる力をどうつけさせていくかという意識に比重が大きく変わってきたように思えます。

 昔と変わって

 寄り添うよりも、突き放し様子を見ることの方が多いようにも思えます。

すっかり、悪い先生厳しい先生になってしまったのかもしれません。笑

あすなろでも、私が机間巡視をすることはまずありません。最初に子に二三歩歩いて来てもらいます。その力をつけさせたいと思っているのでしょうか。         

 

 もしかしたら、そうなったきっかけの一つが、この下の体験かもしれません。

その親子とはじめて話したのは、彼A男が中学校二年生の家庭訪問のときでした。そのクラスの担任になった春すぐに家庭訪問があります。(クラス替えはなし)

学校を休みがちなA男そして母親は、過去の級友からの連絡プリントを見せてくれて『ひどいことを書かれている』と訴えました。そこにはサボるなよ。明日は来いよ。他ふざけているようなことが書かれていました。

クラスの他の子との人間関係がうまくいっていないから、学校になかなか行けないのだというのが、本人と保護者の言い分でした。

 

それから、学級で挨拶運動や不満な事の話し合い、彼の得意なことをなるべく学級活動に取り入れたり‥いろいろしました。彼の不登校傾向もなくなり、一安心でした。

中学校3年生の進路を決めていく時期になり、お母さんが、なんとしてもA男には高校に進学してもらいたい。私がA男と話してくれないかと頼まれました。

彼と30分以上話をしましたが、結局高校に行くとは決断しませんでした。その後しばらくたってから、やはり高校に行きますとA男は自分から言ってきました。

 結論から言うと、A男は高校を退学しました。一学期の英語のテストの点数が悪く、担任の先生が夏休みに家庭訪問をしたそうです。二学期のテストの点数が悪いと留年もあるのでがんばれということだったそうです。しかし彼は二学期になって一日も登校はしなかったようです。彼が退学をしてから、私は知らされました。

当時、母親は病気が悪化して入院をしていました。彼は退学理由に、もともと高校は先生から言われてしょうがなく行っていただけ。母親の看病をしたいから、退学をしますと言ったそうです。        

私がA男の退学を知って彼の家に行ったときに、彼は昼から友人と麻雀をしていました。話に来るかと学校にも呼びましたが、彼は来ませんでした。

母親の入院先では、お見舞いに来た方々は、ベットの下にこっそりとお見舞いのお金を入れていくのだそうです。父親がそのお見舞いのお金を散財しないようにするためだと聞きました。そのお金をA男は使って遊んでいるという話を聞きました。

その後、母親は病院で亡くなりました。酸素マスクやチューブを自分から外したそうです。

 

正直にいうと、私はどうにもできない挫折感を当時感じました。中学を卒業してしまえば、A男に対して、ほんとうに何もできない。

しかしA男が中学にいたときに、私は何かもっと違うことができたのではないか。

結局A男の逆境を乗り越える力をつけさせてやらなかった自分の責任もあるのではないか。その場の点数かせぎを自分はしていて、A男の課題を先送りしただけではないのだろうか。

はじめて話したあのとき、本人と母親の前で、

『友だちもひどい事を書いているかもしれない。しかし君が学校に来ることは本当はそれとは別のことだよ。もし嫌なことならば学級でそれを言えば?』

と私は伝えるべきだったのではないか。親身にならない冷たい先生と思われても‥

彼をときには突き放し、ときにはバックアップし、そういうことをしなかった私の責任も重いと感じています。

 去年春に、こちらに赴任してきた彼のクラスメートと会いました。現在彼は母親と同じ病気で、糖尿病から人工透析を受けていると聞きました。   

 

もう私は子に好きになってもらおうとはしません。

子が自分のことをどう思っているかに関心ありません。
私が子に何ができるか、それだけにしか関心がありません。

そう言い聞かせることが現在の私の立ち位置かなと感じています。

(^^)